それは、これまでの暴飲暴食を断ち切ることで、強烈な空腹感におそわれ、耐えられなくなりイライラし、果ては仕事すら手につかなくなる、という事態、です。そしてとうとう、元の食生活に戻ってしまう:::減量に失敗する人の、典型的なパターンと言えましょう。ン杜仲」でした。それが「グ減量するにあたって、私は次のようなことを真剣に考えていきました。①減量には体脂肪の燃焼が必要だが、それをEうするか。②体脂肪が減少してスリムになっても、姿勢を正しく保持できないと、縮んだ体型になり、身体各部は外見上太くなってしまう。正しい姿勢を保持するには筋力が必要だが、それをうするか。③空腹感の解消は、意志力だけではEうにもならない。その手段はうするか。④食事は栄養バランスに注意しつつ、総量を減らすことが必要であるが、食事量を減らしたら筋力向上はできないのではないか。また生活習慣病克服に影響はないか。中でも、①②③は高いハードルになりそうです。しかしこのハードルを飛び越えるのに、大いに役立つものがあったのです。リ-救世主的存在平成元年から、私は杜仲の研究をしており、この頃には、後述するような数々の生理効果を持つ「グリーン杜仲」の開発に、ちょうど結論がでつつある途上にいました。そこで私は、ハタと気付いたのです。「そうか/自分の開発したグリーン杜仲なんだ、・まずは自分の体で試してみよう。本当に正しいものかEうか、きっとわかるはずだ/」それはまるで、天の啓示のようにも思えました。何故なら、グリーン杜仲の為す役割は、先に挙げた減量のハードルとぴったり一致していたからです。まず第一に、「グリーン杜仲」は、体脂肪の燃焼を促進します。この頃は数々の動物実験で素晴らしい結果が出ており、あとは人間の脂肪にも作用するかうかを確認するだけ、という段階にきていました。第二に、「グリーン杜仲」には、腸活 でればアミノ酸が豊富に含まれているので、アミノ酸が満腹中枢を刺激し、空腹感をかなりやわらげてくれるはずです。第三に、体脂肪の燃焼ととちに、コラゲンの生成を促進するため、弾力のある筋肉を作ってくれることも、既に動物実験では立証済みでした。また、ミネラル成分の合有率が驚異的、であるとの分析もなされ、それが活性酸素を除去し、免疫力を高めて減食による体力低下を補い、生活習慣病の誘因を解消してくれる、とも考えられたのです。---少量の食事+グリーン社仲で減量開始「グリーン杜仲」という強い味方を見つけた私は、さっそく減量を開始しました。

その時は、自分の頭を触ってもまったく感覚がなく、まるで他人の皮膚を触っているような感じなのです。体はフラフラになり、思わずその場にしゃがみこんでしまうような始末。これはあとから、高血圧症の典型的な症状だということがわかりました。「何かおかしい」Eそう思った私は、思い切って病院の門を叩いたのです。その結果は悲惨なものでした。まずは、高血圧症。上が二一、下が一四。それに糖尿病、血糖値は最高二三でした。それから高尿酸値(痛風)、数値は八・八1九。さらに高脂血症に前立腺肥大の第一期。そしていつのまにか、身長二ハ0センチに対して、体重は七四キロ、ウエスト八九七ン場近くの別荘に行き、ソリを楽しもうということになっていたのです。私はさっそく、ソリ用のスツを買いにスポーツ店へ行きました。そして店員にLサイズを注文すると医者には厳重注意を受けました。自分、ても「いつのまに」という信じられない思いでした。す「に血圧降下剤を処方され、毎日飲用するように言われました。しかし、それでもチ、胸囲九0センチ、体脂肪率は三五%という、「超肥満」体型になってしまっていました。私は、「医者のアドバイスを何となく聞いていればいい」程度の自覚しか持てないでいたのです。サイズのスツを渡されたのです。(そんなはずはない/)-Il--もうやせる以外にない/そんな私に「デプの悲劇」が訪れたのは、一九九四年の冬のこと。私は元来、スポーツ好きで、夏は水泳、冬はスキーをするのが好きでした。その年の冬も、娘と一緒に、八ヶ岳スキ「こちらのほうが似合いますよ」と、何と憤りを感じながら、試着室でサイズを着てみると、うしてもお腹のところでチャックが上がらないのです。渋々、サイズを試してみると、チャックは何とか上がりました。そして何よりも博然としたのは、サイズのスツを着て鏡に写っている自分の醜悪な姿を見たときでした。そういえば、何かの宴会の席で「ヨツ/漬野山」と誰かが野次っていたことを、ふと思い出しました。娘にも、「コロコロマン」とあだ名を付けられていましたが、いまの自分はまさにその名の通り。袖も下肢ら寸余りでダプダプしているのに、お腹の部分だけがパンパンなのです。本当に、マンガのキャラクターのようです。「これは、やせる以外にない/」私はそこで初めて、決心したのです。---盲目の減量とは減量するときの、最も大きな問題はこにあるでしょう。

たくさんの戦争映画も、この現実を描ききれていないではないかという憤りすら感じたのです。「人を動かすのは食である」そう知った私は、ベトナムから日本へ帰つてのち、法律学も政治学も経済学も捨て、改めて農業の開発研究に入り、「食」というものを一から学ぶことを始めました。-飽食の日々それから約二五年間、私は食品開発家して世界各地を歩き回り、食品会社や食品研究者と交流する日々を送ることになります。旅館の「名物料理」をコ1ディ、不イ卜したり、「鴨料理」の新規開発商品を発表したり、アジア各国のグルメ食材を開発したり。とにかく、来る日も来る日も「食べる」わりです。各地の名料理からおやつ類、弁当類、インスタント食品等々、古今東西の食品を食べる日々。特に、洋食のフルコ1スに凝っている頃は、ものすごい食欲でした。フランス料理のフルコスをベロりとたいらげる。あれは、とにかく油やバターをふんだんに使つである料理ですから、カロリーは相当なもの、でしょう。日本食では鍋物、特にしゃぶしゃぶやすき焼きな、肉をごっそり食ペるような料理もしょっちゅう食ぺていました。それに伴い、当然お酒も飲みます。ワインからウイスキー、ピルを毎晩のように飲む日々。これで、体を壊さないほうがおかしいのですが、私は生まれつき頑強にできていて、それまで病気らしい病気もしたことがなかったので「食べても大丈夫」という自己過信があったのは確かです。しかし、生活習慣病や糖尿の怖さは、このようにす?に「自覚症状」が出ないことで、自分、でも知らない聞に、体が蝕まれていくことです。食材研究に明け暮れ、食材に精通するようになり、それなりの立場を確立した私を待っていたものは、大変な結末、でした。---五つの病気を抱える確かに、「太ってきたな」という実感はありました。例えば、それまで楽に昇り降り、できていた駅の階段を、昇るのがとてもしんくなりました。踊り場があったら、何度もそこで休まなくては、地下鉄の長い階段なは昇り切れません。動惇・息切れも激しくなり、階段を見ると憂うつになって、とうとうエスカレーターを使うようになってしまいました。また、朝起きて靴下を履くときに、一本足で立っとフラフラしてしまい、前につんのめって転んでしまうのです。この時は、自分がひく年寄りになったような思いをしたものです。そのうちに、ふとした時に目の前が真っ白になるようなことが起きてきました。

それころか、パンク寸前の医療費を使い、周囲の人々にも迷惑をかけながら、肩身の狭い思いで生きてい〈ことにもなりかねません。足腰が丈夫で、外出ができて、目的があってこそ、生き生きとした老後を送れるのです。そんな明日のために、うかもう一度生活習慣を見直し、改善する意志を持ってください。そしてその応援をできるのが「グリーン社仲」なのです。ヵーぶりは大変なものです。部屋中がいつも、煙、てもうもうとなっているのですから。超肥満が招いた五つの生活習慣病から生還潰野吉秀いつのまにか超肥満化して、病気をいくつも抱えることになった私を、まさか私自身が開発した「グリーン杜仲」が救ってくれることになろうとは、当時の私には予測もつかないこと、でした。この素晴らしい体験を、ぜひみなさんにお伝えしたいと思います。-1111同僚が死んでいく経済記者時代私は、かつて法律と農学を学んで経済記者となり、果てはベトナム戦争の取材記者も経験しました。新聞記者というと聞こえはいいのですが、その生活はもうめちゃくちゃでした。昼夜間わずの取材、社に戻れば根をつめての原稿執筆。イライラするので、解消するためにたばこを吸う。新聞記者連中のヘピスモいい、不タをつかむためには、取材相手と夜、飲んだり食べたりすることも大切です。また、優秀な記者になればなるほ、接待される機会も増え、その場に行けばまた新しい情報をつかむこともできるわけですから、断る記者ないません。午前2時3時やらいまで飲んで食ぺて、明け方に家に帰り、昼前に出勤するという「生活習慣」が当たり前になっている記者も大勢いました。私はそれは敏腕記者、ではなかったので、体を壊すということはなかったのですが、気がつけば、同僚たちはみんな、胃やら肝臓やらをやられて、顔色の悪いまま仕事を続けているという状態になっていました。そしてその結果、六人もの同僚が短命で他界していきました。しかし当時の私は、「それが新聞記者の宿命だ」という寸らいにしか思わず、健康管理のことなまるで気にも止めていなかったのです。。--ベトナムで「食」の大切さに目覚めるある時、私はベトナム戦争の取材に行くことになりました。ベトナムでは、戦闘現場後方での取材でしたが、その中で私が見た現実は「人々を動かすものは、政治でも思想でもなく、今日一日の露命をつな?食物だ」ということでした。何としてでも食物にありつき、今日一日を生きようと死に物狂いで「食」を求める人々の姿は、強烈でした。

私は、新聞の経済記者を経て、食品開発家として長年アジア各国の料理を食ぺ歩き、「グルメ食材」の開発に従事してきました。私が「グルメ」の洗礼を受けたのは、高校時代。米軍立川航空基地の将校クラブでアルバイトをしていたときのことです。それまで見たことも食ペたこともないステーキやケーキなのご馳走を夢中で食べたものです。しかし皮肉なもので、その感動した欧米の食物が、そして、私が研究してきた「グルメ」の食材が、現代の日本を「飽食」という危険な状態に陥れてしまっています。この「飽食」が今日、私たちにもたらしている影響とはEんなことか、みなさんご存じでしょうか。昔の日本人は、知らず知らずのうちにバランスの取れた食事をきちんと食していたものです。それはどんなメニューかというと、温泉地の旅館な、て出される和朝食メニュー、と言えばわかりやすいでしょう。すなわち、麦ご飯、味噌汁、納豆、たまご、海苔、あじの聞き、お新香:::といったものです。ところが戦後、欧米の食文化をまねるようになってきて、それまでの日本人があまり口にすることのなかったパンや肉、揚げ物などを食するようになり、加えてファーストフードやコンビニエンスストア!の普及により、合成着色料や添加物にまみれた食品そ口にするようになりました。また、戦後の高度成長により、文明は一気に開化し、日本社会の背景も大きく変化しました。日本人はみなが忙しくなり、昼夜逆転の生活を送る人も増えています。これに伴って、サラリーマンたちが抱える「ストレス」も増大し、その解消法として酒やたばこを浴びるように飲み、健康を害する人も増えています。さらに、ハイテク時代に突入し、テレビゲ1ムや電子レンジ、パソコンな、体に有害な電磁波を発生する機械に固まれて生活することも、当たり前といった有様になっています。このような食生活と生活環境の変化により、戦前の日本ではあまり見られず、欧米には多い病気|夫腸ガン、糖尿病、高血圧、高脂血症、高尿酸血症、肝疾患、肥満なEーにかかる日本人が急増する結果が現れてきたのです。いま挙げた病気は、一九九六年十月に、厚生省が「生活習慣病」と定めたものばかりです。飽食や運動不足、ストレスなの生活習慣が招く病気、ということです。私が高校時代に「おいしい」と夢中になった米軍の食事も、いまとなれば「飽食」の一端であり、食材研究家として探究してきた「グルメ食材」も、「飽食」の一部と言わざるを得ないでしょう。

そして何を隠そうこの私自身も、二五年の食材研究の末、先に挙げた「生活習慣病」をいくつも抱える体となってしまったのです。「生活習慣病」は、飽食を正して、昔の日本人のようなバランスの取れた食事をすること、適度な運動をすること、ストレスをためないこと、これらに気をつけてい〈ことが治療の上で大事なポイントとなっています。しかしうでしょう。そんなにかんたんに、これまで何年も積み重ねてきた生活習慣を変えることはできる、でしょうか。一カ月二カ月ならまだしも、ずっと継続して規則的な生活を送ることな、現代のスピード社会に生きる私たちにとっては不可能に近いことかもしれません。特に難しいのは、食生活の改善、ではないかと、自身の経験で思うのです。世の中には、「おいしいもの」が溢れています。隣で同僚がおいしそうにピルを飲み、唐揚げをパクついているのを横目で見ながら、食欲をグッと我慢するのは辛いものです。私も、いちばんの悩みであった「肥満」を解消しようと決めるまでには長い間悩みました。「おいしいものを食べられないということがんなに苦痛であるか」と。ぞれがまた新たなストレスを生むとも考えられるのです。しかし、「飽食」に蝕まれた私の食欲は、その時、私自身が開発中だった「グリーン杜仲」によって抑えられたのです。それEころか、一カ月、て一0キロという減量にも成功しました。その経験を生かし、私は第一弾の著書として「お腹をしぼれ、引き締めよ」という、体脂肪を燃やしてスリムになるための本を出版しました。しかし、「グリーン杜仲」の効果は、それだけではないのです。愛用者の輪が広がるに従って、高血圧が、肝疾患が、血糖値が改善されたという声が多く聞こえてくるようになりました。「グリーン杜仲」は、「飽食」を正し、結果として「生活習慣病」を改善するのに役立つ、優れた総合健康食品であると私は確信し、テーマをそこに絞った第二弾の著書を執筆することを決意しました。「生活習慣病」の中でも、特に食事制限が必要なのは糖尿です。糖尿の患者は年々急増しており、現在では予備軍を含めて約一四万人もいると言われています。ストレスのかかる食事制限の救世主に、「グリーン杜仲」はなり得ると考えています。日本は、世界一の長寿園、です。しかし「生活習慣病」に冒された「半健康人」の状態で長生きしても、生き生きとした老後は送れません。